自分で自分がコントロールできない事を、感情の暴走と言いましょうか。
時に、感情に左右され、自分でも呆れるような行動に出る事、ありませんか?
そういう行動に出ない人を大人と言うのかもしれませんが、
確かに若い頃に比べると、自分を押さえる事ができるようになった気がします。
でもそれは、身体が素早い動きについていく事ができなくなるように、
感情も素早く変化できなくなったから、かも知れません。
だから、大人って言うのかもしれませんが(笑)
感情の世界には、例えば何人もの違う性格を持った自分がいたり、
生きていくために必要な方向づけを担う方位があったりします。
何故些細な事なのに許せない事があるのか、
何故大事な事だと解っているのに忘れてしまう事があるのか、
それは感情一部と基本的欲望の、欠如による歪みがそうさせるのであって、
本人の欠陥ではないのです。
何故こう考えるかは、自分自身の経験から割り出した答えですから、
私だけの論理なのですが、結構誰にでも当てはまるので、
あながち間違いでもないように、思っています。
皆さんの知り合いの中で、平気で嘘をつける人がいませんか?
その人は、本来守られなくてはいけない時期(状態)に、
逆に傷つけられてしまった経験があるハズです。
そして、その時自分を守るために嘘をついた人なのです。
(外に対しても、自分に対しても)
嘘は自分の心を落ち着かせ、その嘘を信じる事によって現実逃避もできるのですから、
嘘をつくのは生きる術となってしまいます。
そうしてその人は、自分の嘘を自分で信じ込むようになります。
嘘は、嘘だと認識しているうちは、その正当性に対する辻褄合わせが大変で、
やがてばれる事になるのですが、
そういった人のつく嘘は、本人が信じ切っているだけに信憑性すら漂わせます。
自分はそういう部分(例えば愛情)が欠けている、と本人が気がつかない限り
これは直りません。
多重人格と呼ばれる症状を持つ人は、自分で耐えきれない苦痛から逃れるために、
違う人格を作って責任発散をしてしまった人ですから、
上記の症状がかなり進んだ状態だと言えるでしょう。
仕事ができて凄く真面目で、どちらかと言えば優等生だった人が、
ある日朝起きられなくなる。
電話で起こそうと試みても、目が覚めない。
そんな人と話す事がありました。
その人は、優等生である事で守らなくてはいけない家族を守り、
傷ついて嘆いている家族を慰めるために、自分は平気だと嘘をつきました。
それは、やがて頼られる自分の存在を強固にするために、感じない自分を
作る事になっていったのです。
スイッチを入れた瞬間、何を言われてもどんな事をされても、
平気な自分になれるのです、(感じないから)
ところが、それは自分じゃないと叫んでいる自分もいるのです。
で、二人の自分は心の中で戦い始めてしまう・・・。
今の仕事は自分の仕事じゃない、
自分がしたい事は他にある・・・という自分と、
自分に任せておけば間違いが起きないと言い切れる自分が、
出社するしないで戦い、ある日出社しない自分が勝ってしまう。
解らない人は、
「誰だってそういう事や部分はあるよ。
起きられないなんて、言い訳だよ。」
と言えてしまう。
でも、これはある意味病気なんです。
自分をコントロールできないって事は、病気でしょ?
物理的にコントロールできないとわかりやすいでしょうが、
精神的にコントロールできない場合は、わかりにくい。
他人の心の傷なんて、直して上げられるわけがない。
でも、何となく痛み位は想像できる・・・。
そんな事で何時間か話しました。
ただ、残念ながら、彼の求める答えは解りません。
僕は、死を見つめる事で、生きる意味を考えました。
それは僕のやり方であって、彼には当てはまりません。
「優等生でいたい君も、仕事をしたくない君も、全部自分なんだから、
どれも否定してはいけないよ。
どの自分も、自分で殺す事はないんだよ。」
としか言ってあげられなかった。
ただただ、自分の無力さを知るだけです。
同じ言葉を持てない事は、やはり哀しい事。
こんな時、どう言ってあげれば良いのでしょう。
H.W
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