もう十数年前にもなりますが、ピーストレインというイベントを
取材した事がありました。
それは、小学生が電車に乗って広島に行き、原爆体験者の話を聞き、
原爆資料館を見学し、合同慰霊祭に参加し、
戦争と平和について考えるというものでした。
そう、今日は広島に原爆が落ちた日なのです。
NHKは朝の連ドラをシフトして合同慰霊祭を中継し、各新聞は必ずその事に触れます。
今日付けの朝日新聞の「天声人語」にも、原爆の形をしたピアスの事などを取り上げて
いました。
八月の第一週は、広島は独特な雰囲気に包まれます。
日本全国から、それぞれの想いを胸に、色々な人達が集まります。
遺族関係者、巡礼者、右翼・左翼関係者、報道関連、政府関連、その他・・・・。
街の至る所でワークショップが開かれ、原爆の痕がある場所には千羽鶴が置かれたり、
原爆の事実を確認できるような公開がなされていたりするのです。
原爆ドームは、実は円柱ではなく楕円柱状だという事を、現物を見て初めて知りました。
原爆資料館は、遺族にとってかけがえのない遺品が、圧倒的な迫力と現実感を醸して
心にその悲惨さを訴えてきます。
東京にも横浜にも、大空襲はありました。
中心地は焼け野原となり、たくさんの人が死にました。
同じ様な苦しみがあったはずなのに、広島のそれは54年たった今も、後遺症で苦しむ
人がいるという放射能の恐ろしさが有る分、特別なのです。
人の命の重さに差があるとは思いません。
ただ、癒えない傷を与えたり、後日突然発病するような武器を使う事は、
例え戦争であってもいけない事なのです。
それは、戦争を忘れられない恐ろしさを、一生背負わす事になるからです。
ワークショップで、実際に被災した方にケロイドを見せていただきました。
いまだに痛いのだとさすっている彼女は、目を瞑るとあの閃光が見えると言います。
当時の模様を詳しく聞かされてもあまり想像がつかないのですが、
傷痕を見せられると痛みが直に見えるようでした。
たまたま、その時代に生まれ、たまたまこの広島に居たというだけで、
死ぬまで続く傷を背負わされた彼女に、どんな罪があると言うのでしょうか。
直接見えないから、その痛みも知ることもなく、
平気で爆弾を落とした兵士に罪は無いかもしれません。(命令だから)
その武器を使うと決めた人達に罪があるのです。
武器として作った人に責任があるはずです。
そんな武器を持たなくてはいけない社会に、罪があるべきです。
子供達は、現実に苦しんでいる人に触れ、焼き付いた影を見、慰霊祭に集まる人数に
驚き、そして戦争のもたらす哀しみや核の与える苦しみを体験しました。
私も、これだけ多くの人が、哀しい想いを胸に集まる所をみた事はありませんでした。
街には、ただ慰霊碑に黙祷を捧げる為だけに集まってくる人達も、多くいました。
バイクに乗ってやってくる人達もたくさんいました。
ナンバーを見れば、それが日本全国から来ている事が、すぐ解ります。
何かのグループかと思って尋ねてみれば、全然違うとの事。
ただ、この合同慰霊祭を見たり、原爆資料館を見たりして、
一度8月6日に参加したいだけで走ってきた、という人が多くいました。
(年齢も、かなり幅広く)
そう、彼らの気持ちとしては「日本人として忘れてはいけない事」なのだそうです。
核の恐ろしさも、戦争の愚かさも、そして日本が戦争していた事も、
全て忘れてはいけない事なのです。
今年も、被爆によって亡くなった方を名簿に記入し慰霊碑の中に安置する様を見せられて
まだこれだけの人が戦争を終えられずにいたんだと思うと、胸がいたくなりました。
核は子孫にまで苦しみを与え、生物全てに対してその生存能力を奪うものですから、
あってはいけない物なんだという事は解ります。
人間に対して使われた事実を流布する事で、核廃絶を訴える事は必要です。
でも、選ぶ事もできずに戦争に巻き込まれ、核でなくても武器で殺されるのなら、
その苦しみ哀しみは同じもの。
だから、核廃絶というよりも戦争廃絶であって欲しい。
そう願ってやみません。
若尾 久志
|