インド系外国人が前から歩いてくる。
私の前には東南アジア系の外国人女性が歩いている。
「ハ〜イ!元気デスカ? アレ、マダ元気ナイネ?」
「ソオンナコト、ナイデスヨオ。 チョット疲レテルダ〜ケ。」
知り合いだったようです。
しかし、見事な日本語でちゃんと会話しているのです。
横浜は、もともと外国人が多く住んでいて、特に驚く事も無いはずなのに、
何故かその二人を見ていて驚いたのです。
考えてみました。
30年前といえばまだ横浜は、一部占領下におかれたまま、
戦後の風景を少しだけ残しての発展途上地でした。
森林公園は米軍専用のゴルフ場だったし、本牧は住宅地で、PXもあれば学校もある
立派なアメリカ軍基地でした。
もともと横浜に住んでいた外国人は、中国人とヨーロッパ系白人が多かったのですが、
当時の外国人の中では所詮マイノリティー。
圧倒的に多かったアメリカ人は、軍人や軍属が多かったように記憶しています。
アメリカ系外国人は、コミュニケーションは基本的に英語で行うのが常で、
私は耳からそれを学びました。
彼らとの会話は、日本語と英語のごちゃ混ぜが多く、
ある程度英語を理解できないと、うまく意志疎通がはかれなかったり
バカにされたりしたのです。
中国人も韓国人もそれぞれのエリアを持ち、そこの中ではそれぞれの母国語でしゃべり、
立派なコミュニティーを形成していましたが、そこから出て積極的に日本人社会と
交わらなかったのは、やっぱりそれぞれの偏見等がまだ、色濃く残っていたからでしょう。
戦前の教育を受けた世代が、やっとの想いで日本を再構築し、歳を取り、
次の戦後生まれの世代が実質上の支配者となるに従い、
男女平等・戦争反対・慣習因習無視という常識が構成され・・・・。
そこへ持ってきて規制緩和の外圧から、日本はどんどんボーダーレス社会に
変革させられつつあるようです。
伊勢佐木町へ行くとある場所から、フィリピン人の街になってしまったり、
中華街でのアルバイト募集のチラシには、条件:日本語が喋れる事、とあったり
ヒスパニック系やらアフリカ系やらの、今まであまり見たことのない顔ぶれが
町中に溢れていたりするのです。
そう、25年前に初めてアメリカに行った時、ロスのリトルトーキョー以外では
日本語は聞こえず、人種のルツボと言われたアメリカでは誰もが英語でコミュニケート
していました。
その状態が横浜で、しかも英語でなく日本語で各国の人達がコミュニケートしている。
そう、日本はそんな国になってしまっていたのです。
そんな国になっている事に、びっくりしたんです、きっと。
そういえば、台湾に行った時、テレビCMを見ていて驚いたのは、
日本のテレビCMで当たり前のように使われる英語と同じ感覚で、
日本語が使われている事でした。
北京語でナレーションが入る中で、出ているモデルが日本語で喋っている・・・。
そんなCMが流れているのですよ。
だから、日本はどうの・・・と言うつもりもありませんが、
豊かになりすぎた日本は、これからどう国際社会で頑張っていくのか、
やはり気になるところ。
「日本人、バイク作る人。 イタリア人、バイクで遊ぶ人。」
と、ケンタウロスがミラノターラントのサポートをした時言われたのは、有名な話。
早いだけのバイクを作るのは上手な日本は、味のあるバイクを作る国にやがて淘汰される。
遊びを知らない人種は、遊ぶ道具を作るのは下手だと言いたかったのかも知れません。
事実、ハーレーやドカなど味やステイタスに価値を見いだすライダーが増えてきた事は、
社会が熟してきた証拠なんだと思います。
日本人だってバイクで遊んでいるんだよ。
これから、性能だけでなく味のあるものが、色々産み出されるようになるでしょう。
(少なくとも、私はそう願っています。)
適当に(充分に)早くて、それでいてゆっくり走っても気持ちのいいバイク、
早く出してくれ!!
by H
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