ボランティアという言葉に、皆さんはどんなイメージをお持ちですか?
私は最初、無料奉仕する奇特な方、といったイメージがありました。
ところが、仕事をする上で少なからず福祉や医療の現場を垣間見る事が増え、
また障害者の為の施設での勤務も経験し、
だいぶその現状がイメージと違う事を教えられました。
行政の悪口を言うわけではありませんが、ボランティアとして参加している人には、
一切の資金供与をしない、というのが現在の行政の立場のようです。
どんなイベントを催したとしても、そこに参加しているボランティアには、
直接行政がお金を支払う事は、とても少ないという事です。
例えば、個人が何かのボランティアをしたいとして、
自分の行為だけをボランティア提供したくても、
行為を提供する場所までの交通費や弁当代までは提供できなかったら、
結果的にはボロンティアとして参加しない事になりますよね。
昔の話ですが、ある障害者団体主催の福祉大会に参加した手話通訳ボランティアの人達
は、その大会に普通の人が参加する場合の会費を支払った上、一切の資金的援助もなく
手話通訳をしていました。
なんか、変だと、思いました。
で、ボランティアする人よりも、ボランティアさせる側やそれを支援すべき行政の
あり方がどんどん嫌いになっていきました。
阪神大震災のとき、ボランティアとしての活動をする意義のようなものが、
世間にも少しづつ浸透し、やっとこんな事も書けるような環境になりつつありますが、
それにしても、自分の中での「ボランティア」という意味は、
あまり変わっていないような気がしていました。
ところがこの前、盲人のための朗読ボランティアをしている人と話をする事があり、
そこで長年持っていた、ある種の決めつけを解除する事ができました。
その人は、ボランティアをするための講習を、自費で6ヶ月受けたそうです。
(その講習会を終了しないと、ボランティアさせてもらえないとか)
「変だよ、なんでボランティアするために講習を受けなきゃいけないんだ?」
「ボランティアを受ける人に、間違った伝え方をしないためだよ」
「でも、自分で講習料払うんだろ?」
「当たり前じゃん。」
「それくらい、ボランティア育成って事で、行政から金が出たって良いはずだ。」
「自分のためにもなる事だから、お金は惜しくないんだ。」
そう、自分のため。
その事が、私の認識には欠けていたのです。
ボランティアを趣味にする主婦?
当然の事なのです。
自分のためにしている事なのですから・・・。
趣味ってくくってもいいのです。
そう考えれば、自分のためにしていることだから頑張れるし、
結果的に他人のためにもなるから、ボランティアって周りに言われるだけだと・・・。
「情けは人のためならず」
とはよく言ったもので、ボランティアというものは、まさにこの精神だったのですね。
手話通訳ボランティアをする人も、点字翻訳ボランティアする人も、
身体障害者の介助をする人も、それなりのトレーニングが必要です。
そして、日本では、事福祉に関する様々な事に対して、お金が集まりません。
「福祉は金にならない」
とまで、言われてしまいます。
だから、私は福祉に関わるのなら、ギブアンドテイクのヘルパーの方がまだ、
感情的に理解できるものでした。
ライダーにとってのボランティアは、二輪車に乗れるという特技さえ使えればできる事
であれば、誰でもできるかもしれませんね。
(そうやって、大震災の時ボランティアした人が、たくさんいました)
いざ、という時のために、トライアル、やってみようかな・・・。
by H
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