PCは、ワープロ代わりに使い、よくて表計算ソフトのお世話になる、
そんな感覚でずっとやってきましたが、なんと最近チャットを経験する事がありました。
メールは当たり前に使っても、オンタイムの情報のやりとりの魅力、垣間見た気がしました。
まあ、友達に誘われての参加でしたから、あの世界では無礼にあたる事を無意識にしていても、
初心者だという事と友達のツレという事で、許してもらったようですが。
メールを書くとき、色々思いながら、必要なら一度読み直して書き直し、
と時間をかけて文章を作るのですが、チャットはそれより瞬間の反応が要求され、
単語の意味より文字の意味で思考する必要があったりするようです。
ただ、私の感覚には合わないかも、と思いました。
極短い単語に責任が持てないから・・ですかね。
仕事柄、不特定多数向けの情報には、必ず裏をとる、クセがついてます。
個人的な出来事を脚色して書く場合、あまり裏は必要ないのですが、
他人の事については、実際を知らないで想像で書いてしまうと、あらぬ誤解や問題を
起こします。
(直接お叱りを受ける場合は殆どそんな状態で、謝罪広告を出す羽目になります。)
自分発のメッセージでさえ、読む人の考えによって印象は変わり、違う印象のまま他人に伝われば
どんどん形を変えてしまいます。
でも、これは、言葉という不確実なものを、コミュニケーションの道具として使っているのですから、
当たり前の事。(言葉が、いかに自分の言いたい事を伝えられないか、経験した事ありませんか?)
文章は、読み返す事で、本来の意味が理解できたりするから、
正確に伝えたいと思う上では言葉に勝ります。
(文間を読めない人には、伝わらないニュアンスがあったりしますが)
例えば、誰かの事で相談を受けた時、私はその内容如何を問わず、問題の起点に逆(裏)から
入ります。
Aさんの困った事をBさんから相談されたら、
Aさんと話をしないうちには、その問題に判断をくだせない、
という事なのです。
「あの人がこういう事して困る」
という事を、
「そうだよね・・・」
と無意識に相槌打てば、もう同罪。
あの人にはあの人が、そうしなくてはならない理由があるはずで、
それを知らないで一方的に決めつける事は、小さな差別につながっていくのです。
それに利害が絡んできたらもう大変。
「あの店ではブレンボが7割引で出ているよ。機種限定なんだけど、つぶれた問屋から
支払いの代わりに現物でもらったんだってさ」
こんな、噂話を、本当かどうか裏(この場合は、事実確認)を取らずに、
不特定多数の見る場所にアップしたら・・・・。
その店は何故だか解らずに、客の不満を浴びる事になるのです。
批判をするわけではありませんが、
個人的主観的情報が、他人の店のランクづけを担う事は、
自分の判断を鈍らすという点で嫌いです。
日経トレンディNo153 1999.7月号 に「ネット文化人の発信力」と題して
ホームページの情報に対して、モラルや責任が求められつつある、とまとめています。
話題は、ラーメンの事ではあったが、ネット上で「美味しい」という情報が流れた後、
月商が200万から6・700万まで上がった例を取り扱っています。
その効用と弊害をあわせて紹介していましたが、味という主観的な情報でさえこれだけの
影響力を持つのですから、ここに無意識の悪意が存在したら・・・・。
マスメディアは、基本的な事として、裏取りを過去努力してきたはずです。
しかしながら、締め切りに追われ、想像と自分の知識のみで発信してしまう事も、
結構あるのでしょう。
明らかに変な事は、校正ではねられるから良いのですが、間違っているかどうか解らない事は
原稿を信用するしかないのですから、そのまま流れます。
だから、「ダウンベストは服の下に着たから、ダウンベストと呼ばれるようになった」なんて
今では誰もが笑っちゃうような記事が、初めてダウンベストが日本に入ってきた時、
まことしやかに書かれていたのを読みました。(20年も前の話です)
裏を取らない人は、その言動に信頼感が得られません。
私は、自分が実行した事があるホラだけを吹くよう、心がけています。
(やってみろって言われて、できなかったら格好悪いでしょう?)
by H
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