愛情には距離が無いとすれば、結婚相手が半径数m以内にいる人が多いと、
統計的に現れる現象は何なんでしょうか。
毎日声を聴き、日々の出来事を報告しあっても、側にいられない寂しさから、
別の人との安らぎを選んでしまう人の方が、私の知り合いには多い気がします。
遠距離恋愛を、毎週のツーリングイベントにしてしまう強者もいますが、
それとて、毎日会える人には太刀打ちできはしない。
常識外れのスピードで走る事を知っていて、それを待たされる人から考えれば、
「会いたい」と
わがまま言う事さえ心を傷つけていく事なのでしょう。
「今、ここに居て。
それができなきゃ電話してこないで。」
そう言って電話を切られた後、5分もしないうちに電話がかかる。
「それでも、電話してくれなきゃ、本当に私壊れちゃうよ・・・・」
「会いたいのは君だけじゃない・・」
「わかってる。 わかってるけど・・、手が届かないじゃない・・」
そう、恋人であれ、家族であれ、親子であれ、
他人と言えない人に対しては、
スキンシップは大切なのだと思うのです。
日本の文化は、あまりスキンシップを大切にしていなかったように思います。
それは、きっと人間関係に対する信頼感が強かったからだと、思うのです。
自分だけがよければイイ、なんて考え方は、きっと昔はあまり無く、
確固たる信頼感と揺るぎない愛情があったのかもしれません。
横浜という街は、アメリカ軍の居住地区があったり、中華街があったり、
明治の時代から各国の人間が住み着いていたりと、
特殊な社会環境が古くからあったところ。
35年前、小学校に入った時、
軍属の子供、華僑の子供、韓国籍の子供、等が当たり前にクラスに存在し、
子供の中の差別感を支配していたのは、国籍や肌の色でなく持ち物や腕力だったり
していました。
イ君も何(カー)君もボイラン君もルグラウス君も佐藤君も謝君も、皆友達でした。
ただ、圧倒的に違ったのはスキンシップの違い。
特にWASP系の子供の親は、coloredの子供を嫌う事があったりもしましたが、
差別の少ない親達は(横浜の場合はそういう人達が多かったと思います)、
自分の子供のように僕たちも抱きしめてくれました。
肌が透き通るように白くて、彫りの深い顔。 金色の髪に青い目。
その人の、満面の笑顔で抱きしめられて、良い香りに包まれる事が、
子供心に家族扱いされる体感として、記憶に残った事、思い出します。
スキンシップがなければ、リレーションを保てないとは思いたくありませんが、
別の意味でスキンシップは大切なもの。
彼女とうまくいかない、という相談を受けた時、
「四の五の言わずに、会って抱きしめてこい!」と
言ってしまうのは、そんな経験があるからなのかもしれません。
TPOも考えずにベタベタしているのは、
高温多湿の日本においては暑苦しい事おびただしいのですが、
私的にはそれもアリ、かな、と。
スキンシップでしか敵味方を区別できなくなる前に、
お互いの信頼感を強く持てばいいのです。(お互いの努力なくしては不可能ですが)
後は
「好いたようにしたらええねん」
って感じですか。
by H
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