灰色に薄い青を混ぜたような空と、鈍く光るアスファルト色の海。
そんな冬を前にした時期の日本海を見たのは、小樽に向かう列車からだった。
あまりに海に近い場所を走る列車は、その地形の厳しさを無言で伝え、
その風景が織りなす寂しさは、その地の生活の厳しさを物語っていた。
「小樽には、『寿司屋通り』があるんだって・・・」
「じゃ、其処へ行けば見つかるね・・・」
対面した席に座る観光客が、無邪気にガイドブックを見て談笑している。
そのかけ離れた色合いの違いが今の小樽の現状を判断させる要素になっている、と思ったのは、
マイカルシネマの看板を出したビルの派手さと対照的な廻りの色合いの差に
戸惑いに近い違和感を覚え、不安な気持ちにさせられたからだった。
小樽には、多くの倉庫がある。
その一部は造り替えられて、観光客向けの施設としての道を歩いている。
石造りの頑丈な倉庫の中は郷土資料館だったりガラス工房だったり、
はたまた飲食店であったり土産物屋となっているのだ。
勿論、撮影用のスポットとしても、その外観は観光のために役立っている。
新港埠頭の赤レンガ倉庫が綺麗に修復・化粧され、
観光スポットとして生まれ変わったのはつい先日の事。
山下公園から貨物専用の線路跡を利用した遊歩道も時期を同じくしてオープンし、
その陸橋を歩けば今まで貨物列車からしか見えなかったはずの風景が、目に飛び込んでくる。
この風景を見た瞬間、小樽での倉庫群や
札幌のビール工場跡を改築した観光スポットを思い出した。
歴史的建造物を延命させ、色々なテナントを誘致し、
観光スポットにする事は間違っていない。
だが、その歴史の重さに比例したクオリティは、残念ながらテナントには無いように感じられる。
商売と歴史のバランスが取れるなんて事は、今のペラペラ文化ではあり得ないのだろう。
札幌のビール工場跡は、実に上手くその構造を利用した店舗(飲食店)が多く入っていた。
それは、悪戯に今っぽい調度を廃して、トータルでバランスを取る作り方をしていた事によるだろう。
そしてその横には、完璧な近代的ビルに今風の店がごっそり入って繋がっていたから、
OLD&NEWを上手に表現したセンスの良さが感じられて、面白かったのだと・・・と思い出せる。
夜、バーがあると聞いて中に入ってみた。
いきなり 近代的デザインがなされたエレベータがあり、異空間に飛び込んだ気にさせられる。
外と中の違いが、こうもあるか・・・と、べつの意味で驚いてしまう。
世紀を越えて生きてきた建物が、
21世紀にアミューズメントとしてオープンした事を、どう考えたらいいのだろうか?
横浜は、古き良き時代の建物が多く残っていたが、多くはそれを維持出来ずに造り替えられた。
その歴史的価値は不況の波に飲み込まれ、
手っ取り早く現金化できる住宅専用ビルに生まれ変わる。
オフィス街のど真ん中に、どんどんマンションが建っていく事の不自然さを、
その資産価値の高さ(錯覚だが)に目を奪われて気が付かないのは、
横浜という街の姿がすでに忘れ去られているからに他ならない。
歴史と文化を大切に保存して生きている国々では、
不便さを嘆くより、歴史を失う事に嘆くと聞く。
そんな考え方は古い・・・と言われれば仕方ない。
しかし、それなら何故、
赤レンガ倉庫なんて古い建物に、
人々は群がるのだろう。
形だけ、上辺だけ、格好だけ良ければいい・・・。
本物を手に入れる事が大変ならば、
それっぽい物を安く手に入れるだけでいい・・・。
そんな考え方の象徴が、この赤レンガ倉庫にならないように、祈りたい。
この倉庫を利用して、大きくなってきた『横浜』の住人の一人として・・・。
Text and Photo by H.Wakao
|