| 「イマカラデラレル?」
 携帯メールを打つ。
 
 「ok」
 
 
 友達を呼びだしたのは1日の23時過ぎだった。
 
 今日は、イレギュラーの満月ツーリングがある日。
 族長の都合で1日シフトして開催されるのだ。
 
 以前から、深夜の満月を楽しむ話をしていたから、
 友達はいつか一緒に行きたい・・と言っていた。
 
 こっちはとんでもない時間の事だから、少しだけ遠慮をしていたのだ。
 しかし・・・・、それはちょっと考えれば間違いだと気付く。
 
 彼は、私が若い頃明け暮れていたモータースポーツ(ラリー)の、パートナー(ナビゲーター)だった。
 
 どれだけ正確に車を操れるかを競う競技で、大概スタート時刻は夕方で、明け方まで走り詰めって事が決まりだった。
 つまり、夜中に走る事なんかは慣れているし、もとより彼は夜更かし派だった。
 
 深夜にドライブすれば懐かしい気分にも浸れるって事は解っているはずなのに、
 長年染みついた常識ってモノが、遠慮するように作用していた。
 
 バカみたいだ・・・と呟きながら、常識に蝕まれている自分を笑う。
 これが、歳をとるって事なのかな・・・と、自問自答してみたりもする。
 
 
 彼を拾って、横浜横須賀道路をいつものスピードで走る。
 普通は、横に乗る人からクレームが出るのだが、彼は一言こう言った。
 
 「歳だなぁ・・・」
 
 エッ・・・この速度で遅いってか??
 おかしいなぁ・・・、と思っていると、
 
 「目が着いてかないよ。
 ・・・っだよぉ、こんなスピードじゃ、すぐ慣れないわけだ(笑)」
 
 クローズドされたダートを片輪浮かして走るような競技だったから、
 彼がそんな速度で驚くわけはなかった。
 単に、よく見えないのは歳のせいか不摂生のせいかも・・・と、自嘲しただけの事だった。
 
 この日の月は呆れるほどに明るく、対照的に空は蒼かった。
 
 
  
 
 「竿、持ってくればよかったなぁ・・」
 
 「釣り?」
 
 「うん、何かいい感じじゃん」
 
 「これから、大鼓聴けるんだぜ」
 
 「あの、集中感が好きなんだよね・・・。浮きを見てる時のさ」
 
 「魚って食べたっけ?」
 
 「あんまり」
 
 
 浜に焚かれた篝火に向かって、大倉正之助が鼓の皮を暖めだした。
 いよいよ、月一回の、「とっておきの時間」が始まる。
 
 
   
 もう何回ここに来たろう。
 数えられないほど・・・としか、自分でも言えない位。
 
 プラッと来て、沈む夕日を楽しむに良い場所として覚えていた頃は、
 横に誰かを侍らせたかったガキだった。
 深夜に駐車場に辿り着いて、バイクが一台もいなくて不安になった事もあったっけ。
 
 思い出せば、そんなどうでも良い思い出さえも、数多くなってしまった。
 
 
 12月の空は高い。
 そして空気は澄んで透き通るよう。
 
 オリオンを見つけて、月の位置の高さも確認して、
 息が白くならない日でよかった・・・と、思っていた。
 
 その雲一つない空に、正之助の大鼓の音が突き抜けた。
 
 
   
 「海と彼の間で聞くと、すごいウェーブを感じるよ。
 鼓って凄いねぇ。
 木霊と波の音が追っかけてきて、なんか興奮するよ・・・」
 
 言われて気付く。
 彼の後ろに居る事で、自然の音と大鼓の音のバランスが気持ちよくミックスされている事に。
 
 いつも、カメラを使っていて思う事は、一番美味しい場所を無意識に探す事。
 仕事柄クセがついた事だけど、画としても、音としても、気持ちの良い場所は必ず存在する。
 
 それを見つける楽しみと、想像以外の場所でその状態に出会う事は、
 何度シャッターを切っても素敵な事。
 その楽しみを知っているから、カメラを手放す事はできないのかも知れない。
 
 
 目を閉じて聞き入る者。
 空を見上げて、月を愛でる者。
 潮騒と木霊の狭間で、そのハーモニーに浸る者もいる。
 そして、無粋に歩き回って、写真を撮っている私も・・・・・
 
 
 正之助は、
 
 「自然に受け入れられるのに、3年かかった。
 それから自然を呼び込み、呼ばれ、
 一体化となっていけるように、なれた・・・」
 
 と語ってくれた。
 
 「一体感」というものは、生きていく上での一つの価値判断基準と成り得る。
 
 道具を使う上では道具との一体感がなくては上手になれないし、
 社会で生きるためには人間関係を築く(これも一体感の一種か?)必要があるだろう。
 
 そんな事は簡単に想像できるけど、自然との一体感となると難しそうだ。
 なんたって、目に映る自然はその姿であっても、全てとは言い難い。
 風だって、気温だって、その場の動植物がたてる音だって、
 全てがあって自然というものが成り立っている。
 見えないモノの方が多すぎる・・・と、言ってもいかも知れない。
 
 
 
   
 しかし、ある時突然に、
 見えるモノは、ある。
 
 見たくて、知りたくて、探し回っていても、
 例えそのモノが目の前にあったとしても、
 それを認識できない心は、それを見せてはくれない。
 解っていても認めたくない心が、それを消してしまうのだ。
 
 だが、いつもと違う条件下においては、偶然に見えてしまう事がある。
 無意識の中から導き出された客観性は、素直に全てを見せる力を持つ。
 
 月の光と正之助の大鼓には、そんな力を感じている。
 
 それは、彼が言う「一体感」を感じた演奏を聴いているから・・・なのか。
 それとも、「一体化」できる境地を垣間見ているから・・・なのか。
 
 
 
 自然の中にあって、自然の音と一体化した大鼓の音。
 それは、私の感性を強く刺激してくれる。
 
 
 今日は、月明かりの中で様々な色が浮かんで見えた。
 
 
 
   
 
 Text and Photo by H.Wakao
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