夜間空撮の日、東京の灯りは意外に暗く見えた。
もっともっと煌びやかで、人々の活気が見えるだろうと期待したのに。
お台場は、レインボーブリッジから見ればテーマパークのように見えるが、
ヘリから見れば少し寂しい。
何故、そう感じるか・・・と考えれば、
特徴的なシンボルが見当たらないからだと、気付く。
手を伸ばせば、最低限のものは全て得られる。
安価であるがために、そのレベルの低さは無視できる。
「情緒」や「味」というものはいつの間にか除外され、
解りやすい薄っぺらな文化で溢れていくのが、今の日本だ。
圧倒的な魅力を放つシンボルは、廻りとはかけ離れた存在でなくてはならない。
そのため、時間もコストがかかりすぎるのは当然で、
バブル時代ならともかく、 この不景気には到底望めない。
地上で見れば、派手で艶やかに見えても、
空から見れば、全てが薄っぺらで、軽々しく見える。
小手先の誤魔化しは、視点が変われば意味を持たないという事か。
感触や匂い等の気持ちよさは、人間が抗えない魅力の一つだと思う。
それらの実感があれば、想像の中で擬似的な体験を楽しむ事もできるが、
実感なき場合は、その魅力すら感じられない。
バイクは五感を刺激する乗り物だ。
その魅力は、自分の力を明確に感じられる所にも、存在する。
しかし、バイク人口は減っている。(特に若者が)
減り続けるモデル数が、それを裏付ける。
社会環境や交通環境と戦い、自然には振り回され、
維持費に振り回わされてもバイクに乗る・・というのは、
リーズナブルではない。
チープな娯楽が溢れた今、エントリーを減らす理由に十分だろう。
実感を得るためには、
時間も金も、求める強い意志も必要だ。
バイクもしかり、だ。
どうやら今の日本は、
それを受け止められない程、
踏ん張りが効かなくなってきた
って事らしい。
事実、本物は凄い勢いで、減っている。
湿気交じりの上空から見た東京タワーは、
高度成長時期のシンボルとして今も、東京の夜に輝いていた。
2001.8 港区上空にて
Text and Photo by H.Wakao |