梅雨入りし、街はなんとなく色あせて見える。
空が青くないからか、湿っぽいからか解らないけど、風景にコントラストが無い。
だから、久々にカリクロームレンズ(黄色)のレイバンを出してみた。
最近流行の大ぶりなサングラスは、私のような年代には懐かしい物に見える。
私にとってサングラスと言えば、ティアドロップ型のレイバン。
その独特の形と大きさは、流行りの物と少しだけオーバーラップしているように感じる。
4半世紀前、2万円という素晴らしいプライスタグのついたメイドインUSAは、
私の親の世代には、日本占領のイメージとして写る形であったようだが、
戦後生まれの世代には憧れのアメリカそのものに見えた。
円高が進み、定価の半額程度購入できるようになって手に入れたのは、レンズの小さい「アウトドアーズマン」だった。
このフレームには普通の眼鏡のレンズが入ったので、夜間運転用の眼鏡としても使用するようになった。
結果、同じフレームの眼鏡やサングラスがゴロゴロ・・という事になってしまった(爆)
「シューター」というモデルにあった黄色のレンズに度を入れて、雨・雪用の眼鏡を作ったのもその頃。
そしてこのレンズだけは、もっぱら昼間に使用する事もあって、度が弱いにもかかわらず、現在も使用できている。
そんな色の眼鏡で街を見ると、なんだかモノクロ写真を見るようで、妙に新鮮に見えた。
古い写真は、ハロゲン化銀の特性によって退色して茶褐色になってしまう物があるが、
わざとそのような加工をしてセピアトーンで仕上げる人もいる。
横浜は、少なくなったとは言え、まだまだ古い場所や日本離れした場所もあり、
黄色いサングラス越しに見ると、ちょっとした別世界を楽しむ事ができる。
思い出せば、自分の写真が撮りたいと強く思ったアシスタント時代、
オレンジやイエロー、アンバーにブルー等のフィルターを駆使した風景写真を、
ひたすら撮りまくった事があった。
本来あるべき色を規制し、日常を非日常に変える世界を垣間見る事は、
影の色まで染め上げるカラーフィルターの中から、自己表現の本質を自問する事を引きずり出した。
同じ場所を撮っても2度と同じように撮れないのは、その日その時の自分が生きている証拠。
光と影があるから形が理解でき、面白みも生まれてくるのだろう。
そして影こそが実は大切で、影の中がどれだけ見えるか・・が、一枚の絵としての深みに影響するもののようだ。
人生の1シーンを切り取るように、シャッターを押すなんて事はしなくても、
日の当たる所とその影は確実に今を、ちゃんと記録してしまうものなのだ。
楽しい事、幸せな事は、実は案外と味わい難い。
苦しい事、悲しい事、辛い事等は、逃げようとしても覆い被さる。
でもそれは当たり前。
何故なら両者は、光と影のように一体のもの、なのだから。
あの時真実はと思った事が、必ずしも真実でないと気づく事がある。
それは眩い光の中での目利きができるようになったり、影の中の景色を見極める感覚が備わったりするからだろう。
苦しい時、その場から逃げ出そうと明るい方を見てはいけない。
何故なら、その眩しさに目を奪われ、今いる影の中が余計に見えなくなってしまうからだ。
かと言って、暗い方ばかりを見ていて、目が慣れてしまってもいけない。
明るさに耐えられないようになっては、身も蓋もない・・・と(笑)
だから私は、明るい方に背を向けながら、明るい方に向かって歩くようにしている。
そうすれば影の中も良く見え、目も眩まずに明るい方に近づいていける。
しかし、明るさの誘惑はかなりのモノ。
つい明るい方を向き、足を踏み外しそうになるのは、
まだまだ「青い」 という事なのだろう。
Text and Photo by H.Wakao
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