この日、いつもと違う空気があった。
なんだか誰かが隣にいるような気配、と言えばいいか。
気持悪い感じはないのだが、心地よいわけでもない。
今夜もまた、月の光の下にライダー達が集まる。
最速の座を競う隼も居れば、その対極に居そうなシングルのビンテージ車も来た。
(私の記憶が正しければ、1950年代生まれのモトグッチ・アイローネ)
初夏の気配を感じさせる、湿気を帯びた強い風が吹き、
篝火から飛ぶ火の粉があまりに遠くまで飛ぶので、
急遽、火を消すことになる。
今宵は、大倉正之助 氏に加え、キム・デイハン 氏(韓国:打楽器奏者)も登場した。
彼は、あまり見た事の無い太鼓とシンバルのような打楽器を扱い、大倉氏の大鼓と絡んでいく。
満月の明かりだけの中での演奏は、精霊達をも引き寄せるのかも知れない。
いや、この日はそういうモノ達が、この演奏を所望したようにもとれた。
強風とかなりの湿気が音の伝わり方を変え、まとわりつくように身体を舐めていく。
キム・デイハン氏の逆文字の書を書くパフォーマンス。
それは、慣れないカタカナまで駆使した、交通安全祈願であった。
何故か鎮魂の調べに聞こえた私は、このパフォーマンスを見たとき、
少なからず何かを鎮めようとする方向性と、鎮められるべき存在を意識した。
炎も拒否され、木霊もかき消され、
でも心には静かに何かが宿っていくように。
後で聞かされた事。
通夜帰りに、供養を兼ねての参加者がいた、という。
その事を知って思い出した。
仲の良かった仲間がバイクで死んだ日、その彼が好きだった所へ、野辺送りを兼ねて走った事がある。
目的地へ向けて走る間、ずっと彼に向けて話しかけた。
そしてやがて、斜め後ろに追走するバイクの気配を感じる。
そこにいる・・という確信は、死んだはずの彼が追走している確信に変わった。
寂しがる私を慰めるように、追走する彼。
錯覚としても嬉しい事に思えた。
そしてそれは、四十九日法要が終わる日まで続いた。
この日、通夜の後参加した方は、その故人と共に走ってきたのだろう。
ひょっとしたら昔逝った友も、
あの夜、私の横に居たのかもしれない。
Text and Photo by H.Wakao
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