昔、まだバイクに乗る時、ヘルメットを被らなくても反則にならなかった頃、
私は山手のはずれに住んでいました。
道交法が変わり、ヘルメットの着装が義務づけられた時、原付の義務化はなされず
従って自動二輪も30キロ制限の道においては、同様に扱われました。
その頃横浜は、殆どの道が40キロ制限で、
今のように50キロや60キロ速度制限道路なんて探すのが難しいくらいでしたが、
30キロ制限道路もそう多くありませんでした。
だから、自動二輪でノーヘル走行するのは、やっぱり現実的ではなかったのです。
横浜の山手は小高い丘の町で、尾根伝いに外国人が多く住み、
異国情緒たっぷりの場所でした。
住んでいる人達も、円安の時代にドル建てで給料を貰っているためか、
独特のソサエティを培って、よそ者を排除するような気風がありました。
そのためか、当時でも敷地の半分しか建築を許さない風致地区指定をさせたり、
日本語を喋らせない学校があったりしたのです。
私が住んでいた所は、いわゆる山手地区ではなく、
まさに一歩足を出せば山元町という地名に変わる場所でしたから、
生活自体は地味なものでした。
ただ、そんな風致地区指定のためか、山手町は当時殆ど30キロ速度制限がひかれ、
山手町の中だけ走っている分には、ノーヘルでもお咎め無しでした。
春と秋の風の心地よい時期、自宅から「港の見える丘公園」までノーヘルで走る 。
これだけは、山手町のはずれに住んでいてもできる事だったのです。
公園前の交番ではよく止められました。
免許証に書かれた住所を見せ、地図で30キロ道路のみを使っている事を説明。
何度もお世話になるうちに、向こうも覚えてしまったようでとうとう顔パスに。
(汚いハスラーに乗った、童顔小柄の汚れたライダーですから、
覚えやすかったのでしょう。(笑))
自分の安全のためには、自分の責任においてセーフティギアを選びたい。
ヘルメットだって、法律で規制されて被る物じゃないと思います。
建て前過保護の道交法も、とうとう時代に進歩に追い越され、
やっと高速道路の80キロ規制や二人乗り禁止を見直しそうです。
外圧が無ければ実現しそうにないって事が、唯一気にくわない事ですが、
結果良ければ文句無し、というのが私のポリシー。
ついでに、ヘルメット着装も自由化して欲しい!!
と言っても、ノーヘルでは恐ろしくてバイクに乗れないのですが(爆)
横浜市中区山手町にて
by H |